中 之 嶽 神 社
祭神 日本武尊 外十六柱
祭典 十月十五日

本社は往昔元『波胡曽神』を山の主と祭られていましたが、倭建尊(日本武尊)が勅命に依り関東御巡行の際に妙義山に登嶽したと伝えれております。
大和時代の第二十九代欽明天皇(在位539-571年)の御代に妙形氏が社殿を建立、平安末期、第八十二代後鳥羽天皇の寿永二年三月(1183年)藤原祐胤卿が鍛冶の名工を得て神剣を奉斉いたしました。江戸時代に入ると、第百八第後水尾天皇の元和二年丁巳月(1616年)、加藤長清(道士)が登厳し中興の開山主として神器を守り奉斉し、諸大名が崇敬を寄せ、小幡藩主織田筑前守信久侯が社殿を改築、中之嶽奉行を設け地所を寄進いたしました。
第百十四代中御門天皇の享保五年五月(1720年)、嵯峨御所より十六葉菊御紋付の幕、提灯を下賜せられ、小幡藩の鎮守社として奉斉され、織田家の後に入封した松平家の崇敬も篤く親祭されました。


大 国 神 社
祭神 大国主命 外十柱
祭典 四月第二日曜日

人皇第五十二代嵯峨天皇弘仁九年(819年)大納言藤原冬嗣卿と空海(弘法大師)が登嶽し、大国主命を奉斎せりと伝えられ、開運・厄除の神として称せられ講中の参拝が数百年続いています。


剣 持 だ い こ く

だいこく様のお姿は木槌を持っているのが一般的ですが、当社のだいこく様は、日本でも数社しかお祭りされていない、剣を持っているめずらしいお姿です。何故剣を持っているかにつきましては、不動明王とだいこく様が習合した姿と言われる説、中之嶽神社の神宝が剣であることから、だいこく様も剣を持ってという説があります。
この剣が厄や悪霊を祓うといわれており、本来の福徳を授ける御利益と厄を払う御利益を持つだいこく様です。
特に甲子(きのえね)の日にお参りすると、御利益があるといわれております。

甲子祭についてはこちらから。

   
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